散歩

 

100パーセントの散歩をしたのはいつぶりだろう。もしかしたら、物心ついてからはしたことがなかったかもしれない。
目的もなしに、音楽も聴かず、ただ知らない道を歩くこと。小学生の時でさえ、夢中で歩く先は公園だったり、誰かの家だったりしたような気がする。


僕は今年から予備校に通っているのだが、火曜と木曜には昼どきに三時間ほど授業のない時間があるので、勉強に疲れたときにあたりを散歩するようになった。

予備校は僕の家からほど近く、自転車で十分もかからない。いわば自分の町を散歩しているようなものなのだが、全くそんな感じがしない。というのも、僕は中学から地元を離れてしまったので、よく使う道以外のことはほとんど何も知らないのである。

散歩をする前は、自分がどれだけこの町の道を知らないのかすらわからなかった。

決まった道から見えるのは決まった景色で、日常においては目に映るものが世界に等しいように思える。だから、よく知っている道を歩くとき、僕たちは無意識に、世界のすべてを知っていると思って安心している。もちろん、歩きながら宇宙の神秘について考えたり、気になる人のことについて考えたりすることもある。けれど、そんなときの僕たちの心は、なにかきっかけがなければ町に対して開かれた状態にはならない。僕らは、あるきっかけ(段差につまづいたり、自転車のブレーキの音に注意をひかれたりすること)のあとの数秒間は、考え事をやめて周囲の世界に心を開き、そののちまた考え事をはじめる。僕たちは、実はなにも考えていないときしか、あまねく世界に目を向けることはできない。つまり、周囲に心を開いているときには、疑問や不安はない。世界のすべてを知っているとはそういうことだ。そして、この安心は錯覚にすぎない。

 

言うならば、それが錯覚と気づかせてくれるものこそが散歩であり、散歩によって僕たちはその錯覚がいかに大切なものかもまた知ることができる。

都市における道というのは不思議なもので、建物に隠されたひとつむこうの通りで何が起こっているかを知ることはできない。そういった意味では、いま自分のいる、自分の見ている通りのみが既知で、世界のほかのすべての通りは未知である。けれど、その未知と既知にも、頭の中で地図が想像できるか、以前通ったことがある道が近くにあるか、といったいくつかの段階がある。錯覚が僕たちの無意識にどれくらい入り込んでいるのかも、同じように段階的で、濃淡がある。散歩というのは、そのように安心と不安、現実と想像のさまざまな濃淡を絵のように眺める中で、世界の本質に迫っていく行為なのだと思う。

そんな中で、自分の町というのは既知と未知との境目がわりあいはっきりしているから、ひとつの道が、まるで三途の川にかけられた橋のように稀有で重要なものに思われることがある。予備校は大きな通りに面しているのだが、またその通りにつながる小道にも接していて、僕は恥ずかしながら散歩をするまでその小道には気づかなかった。まさにこの小道が、僕の場合には既知と未知とをつなぐ橋だったのだ。ひとつの道が、未知につながり、その道が既知となれば、また別のあらたな道が未知へとつながっていく。このように、未知と道とが連環しあう関係にあるということが、音声の上でも散歩というもののもつ無限を言い表しているようである。

 

 


未知はだれしも不安である。地図アプリを使わずにひとりで歩いていくと、不安が僕にあるひとつの感覚を呼びおこす。

「今、自分は社会から抜け出して世界に触れている。」

もし今からスマートフォンを川に投げ捨てて、これからはひたすら知らない道を歩き続けるとしたら。そう思うことは、自分が社会から放たれたという無重力と、無重力のもたらす、歯が震えるような不安を僕に与える。社会への接続という問題は、ひどく重要であるはずなのに、その問題が身に迫った時の僕らは月の上でステップを踏むように妙に軽やかなのである。いや、実際にはジェットコースターに乗った時のように、軽さと重さは不規則にやってくるのかもしれない。軽さは内臓の中までにも及んで、酔いと吐き気をもたらす。場合によっては吐いてしまうこともあるのかもしれない。吐くというのはつまり、問題すらも川に捨ててしまうということだ。

けれど人間の脳は、記憶を思い通りに消すことができない。問題がわからないのに記憶だけが脅迫的に社会を思い出させるということがあったら、それは地獄であるように思う。というのは、僕も散歩をしている際に、苦痛を覚えたのだ。

散歩というものは、本来的に未知を知るという楽しさに満ちているから、そのおかげで楽しすぎると社会との接続という問題が、ふと頭から消えてしまうことがある。すると、実は散歩の楽しさというものは社会との接続が薄れていくという楽しみでもあるので、問題が消滅することで楽しさに欠陥が生まれるという逆説が生じるのだ。しかも、既知と未知との距離をはかるものさしと、社会との接続の強弱をはかるそれとは関連しあっているから、ひとつのものさしが問題の消滅によって機能しなくなると、もういっぽうのものさしも機能不全に陥る。このようにして、未知を知るという喜びさえも基準を失って消え去ってしまうのだ。ここにおいて一挙に、社会と接続していたときの記憶が、喜びの欠如によって空白となった脳の一部にどっと押し寄せる。社会と接続しきっていない人間が、接続しているときの記憶のみで満たされることが、苦痛でないわけがない。僕が散歩の途中で不意に覚えた苦痛というのも、かけがえのない関係性があった人との記憶によるものだった。

なぜこれを孤独ではなく苦痛と言わざるをえないのか。

孤独とは社会の中において感じるものだからだ。精神的にひとりであり、ひとりで完結している場合に人は孤独を感じない。精神的には複数人でいるはずなのに、ひとりでいること、その欠如の感覚こそが孤独なのだ。

ひとりで散歩をするとき、社会から離れかけているときのこの苦痛が、孤独よりもつらいのかどうかは、僕にもわからない。ただ、それは孤独とは別物で、個人的には苦しさと痛みを伴うものだった。

 

苦痛を感じたのちすこし時間がたつと、また散歩の楽しさは育っていく。そしてその喜びが大輪の花を咲かせると、また苦痛を感じる。
僕はこのようなサイクルを、いやなものだとは思わない。それは、僕にとって筋肉が多少の酷使をしたのちにより回復する過程に似て、とてもストイックで健康的なものだ。


予備校から十五分ほど歩くと、とてものどかな畑が広がっているのだが、そんな静かな道を、愛すべき町を、ゆっくり歩けるのはもしかしたらこの一年を除いて一生ないかもしれないと思ったりする。朗らかに心の筋肉を伸ばしながらこの町と育っていけたらとても気持ちがいいだろうなと考えていると、しだいに心が町へと、世界へと広がっていく。


ひとすじの飛行機雲が町をつつむ青空に鮮やかな切れ込みを入れていた。